お茶を愛する杜の都

ふるまいを楽しむ文化

お茶の名産地でもないのに、なぜか
歴史ある茶業店と日本茶好きが多い仙台。
ふるまいを楽しむ土地柄、杜の都の精神とは…

昔から「茶業を営む店が多い」といわれる杜の都・仙台。現在も創業100年前後の歴史ある企業が目立ちます。近年の総務省の調査でも、宮城県の緑茶消費量は東北で最も高く、全国ランキングでも11位となっています。お茶の名産地といえば静岡県、産地でもないのにこれだけ日本茶が愛されているのはなぜでしょうか。大正9年(1920)、すでに茶業を営む商店が多かった仙台で、後発のお茶屋としてスタートした井ヶ田に残る話とともに、その土地柄と精神の秘密を紐解いてみましょう。

  • 独自のおもてなし美学を持つ戦国武将。
    茶を嗜む華人として太閤秀吉も認めた伊達政宗。

    現在も人気の高い戦国武将、伊達政宗公。茶道や能を心得た華人として、太閤・豊臣秀吉公も一目置いていたと伝えられています。仙台に茶業を営む店が多いのは伊達政宗の影響によるものだという説は、井ヶ田の創業者・井ヶ田周治が仙台に開業した当時から広く知られていたことでした。日本三景・松島には、秀吉公から政宗公がもらい受けたという、伏見桃山城にあった茶室を移築再現した「観瀾亭」が今も残されており、お抹茶と茶菓子を楽しむことができます。

    また、政宗公は、独自のおもてなし美学を持っていたという話も有名。徳川三代将軍・家光公もそのもてなしに感激したとか。『政宗公御名語集』には、「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」という政宗の料理観が残されています。この名言は現在も調理専門学校の校訓に引用されるなど多くの料理人に感銘を与えています。常に工夫を持って客人をもてなしていた粋な藩主のお膝元、お茶を愛する文化が自然に城下にも広がっていったと考えられます。

  • 一杯のお茶に込められたいたわりの心。
    米どころ宮城に脈々と続く、おもてなしの精神。

    杜の都のお茶を愛する心、おもてなしの精神は、仙台市街だけではありません。井ヶ田には、「大正14年(1925)から昭和14年(1939)までの約15年間、宮城県内の農村部などあちこちの町をまわって行ったお茶の訪問販売が大好評」という記録が残っています。各戸に一斤(375g)ずつお茶を置いて歩き、一ヶ月後に集金して回るという、当時としてはかなり画期的なシステム。最初の5年間だけで、岩手県から福島県にかけてまでエリアは広がり、8,000件ものお客様を作るほどになりました。しかし、昭和8年(1933)の大豊作では、米価が暴落したために手痛い打撃を受けたと伝えられています。その際、創業者・井ヶ田周治は、ここががんばりどころと店員を励まし、ともに不況を切り抜けたそうです。

    “米が実った時の後払いでも、おもてなしのお茶だけは常に用意しておきたい”…それは、一杯のお茶に込められた、農業に精を出す人々の間での互いをいたわる心。米どころ宮城、農村部のすみずみまで行き渡り脈々と続いていたのは、藩主・政宗公に通じる、おもてなしの精神だったのです。

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