お茶の井ヶ田の歩み

「伊達なお茶」の源流をたどる

常に新しいものに挑戦し続ける姿勢。 工夫と努力で未来を切り拓いた創業者。 現在もなお深く息づく、井ヶ田の原点とは…

井ヶ田の創業者・井ヶ田周治は、明治26年(1893)、狭山茶の産地である埼玉県入間生まれ。若くから茶業を志し、埼玉の狭山茶の老舗で修行したといいます。その後、新規出店に伴い、秋田へ。秋田での成功を経て、大正9年(1920)、のれん分けの形で仙台市国分町に念願の店を構えることができました。これが、現在の井ヶ田のルーツです。そこから、今も脈々と続く“挑戦の日々”が始まりました。

  • 仙台では後発のお茶屋としてスタート。
    高品質を求めて茶農家とともに取り組みました。

    大正9年(1920)の開業時、伊達政宗公の影響もあってお茶屋が多い仙台では、“後発のお茶屋”としてのスタートでした。そこで掲げたのが「品質本意のお茶づくり」。茶の流通は、産地で摘み取られたお茶を茶問屋に集め、選別や仕上げ加工などを行い、それを卸したお茶屋で販売するのが一般的。しかし、創業者・井ヶ田周治は、徹底した品質管理を求めて、契約した茶農家とともに、上質なお茶の製品化に力を注ぎました。出したい味わいや茶葉の摘み取り時期などを幾度となく話し合い、工夫を重ねたといいます。

    加えて、地域の皆様に愛されるお茶屋を目指して、販売においてもさまざまなアイディアを盛り込んでいきました。その一つが、今も続く「井ヶ田のお茶箱」です。初売りの目玉として、防湿防虫に優れたお茶箱に豪華景品をつめて配るスタイルを確立。その歴史は古く、昭和10年から。今では、お正月のニュースで必ずといってよいほど紹介される“仙台初売り名物”となっています。

  • おいしいお茶の敵「酸化」を防ぐ工夫。
    厳密な温度管理によって茶葉を新鮮なまま保管。

    その後、時代は第二次世界大戦に突入、お茶を含めあらゆる物品が統制されていきました。昭和20年の仙台空襲では、一番町にあった店舗も火の海に飲まれたといいます。終戦後も厳しい時代は続きましたが、昭和23年(1948)には『井ヶ田茶舗』、昭和43年(1968)には「井ヶ田製茶」と社名を変え、昭和52年に「お茶の井ヶ田」を加え、常に品質向上に努めながら歴史を重ねてきました。

    昭和42年(1967)には、二代目社長・井ヶ田徳治が、大規模な自社の製茶工場と、他社に先駆けてお茶を保管する冷蔵庫を設置。店頭に並ぶ直前に火入れ加工を行うことで、さらにおいしいお茶が提供できるようになりました。その後もおいしいお茶の敵である酸化を防ぐために、厳密な温度管理・保管にこだわり、昭和46年(1971)には茶葉の鮮度を保つ大型冷蔵庫を完成するに至りました。現在も、新茶の時期に摘み取り荒茶に仕上げたお茶を、一年を通して新鮮なまま保管しています。

  • 「品質本意のお茶づくり」を、原点に。
    創業からの変わらぬ想いで挑戦を続けていきます。

    井ヶ田の指定茶園があるのは、静岡県掛川市の粟ヶ岳。茶栽培の長い歴史と伝統に培われた、銘茶の産地として知られています。井ヶ田は、創業90余年の歴史の中で、産地でのお茶づくりから保管・流通システム、さらに火入れなどの加工から販売まで、全てを一貫して行う仕組みを独自に確立。現在も「四季―新茶の香り」のスローガンのもと、一年中安定したおいしさをお届けしています。「誰もがおいしく飲めるお茶をお客様にお届けしたい」という創業からの想いは変わらないまま。「品質本意のお茶づくり」を原点に、これからも常においしいお茶をお届けするべく挑戦を続けてまいります。

「お茶の井ヶ田」の歩み、いかがでしたか。商品開発のストーリーも、ぜひお読みください。

「お茶屋のこだわり」ストーリー【究極の深むし煎茶】 はこちら

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